富山浪漫街道R18

富山の風俗・遊び場・歓楽街の情報を中心にアダルトなコンテンツを紹介しています。

2012年5月16日
by toyamabrand
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富山の県民性

ここまで調べてきて、富山人の県民性のようなものがだいぶ見えてきたように思います。

富山の人は倹約家でお金をしっかり貯めている人が多いと言われています。持ち家率も全国でナンバーワンだそうです。富山の女性はとても働き者だということもよく言われていますよね。

また、以前にも書きましたが子どもの教育にはとても力を入れています。教育委員会の力も大きいんです。

 

真面目で働き者の富山の人ですが、とても保守的。このことも風俗不毛の地に関係しているのでしょうね。規範に外れたことをよしとしない県民性が感じられます。

 

ラブホテルのウエディングベルのウエディングドレスにも象徴されているように、セックスはすなわち子どもを作るためのもの、結婚するため、家庭を作るためのもの、という規範があるのかもしれません。

 

快楽のためのセックスということはあまりいいとされていないのでしょうね。

 

でも、そのような考えだったら今の若い人は満足できないように思うのです。

また、風俗街が地域に果たす役割というのもあります。

たしかに風紀をみだしたり、子どもの教育上よろしくない側面もあるのかもしれませんが。

 

事実なにもなかった地域にかつて遊郭を作ったことで栄え、そこが中心市街地になったという歴史もあるのではないですか。

 

女性が強いということも関係しているのかもしれませんね。

女性が強いので男性に媚を売ってまで生きなくてもやっていけるのではないでしょうか。そもそも風俗で働こうとする女性も少ないのかもしれません。

しかし、最近は他県からつれてきたり、アジア系の女性が働いているお店も多いということを聞きます。

 

まあ、そんなわけで富山の男性は遊びたくなったらおとなりの石川県に行っているか岐阜か名古屋まで行っているみたいですね。

 

2012年5月16日
by toyamabrand
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ラブホテル

しかし、このように風俗がない地域でいったいどうやって若者たちは性欲を発散させているのでしょうか。

いや、それは結局ガチでセックスしているということなのでしょうね。

このような地方都市で小さい頃から抑圧されていたら当然のことなのかもしれません。

 

しかしウィキペディアを参照すると富山は離婚率も低く夫婦仲が円満な家庭が多いということが言われていたりもしますし、まあ、性生活は風俗がなくても充実しているのかもしれませんね。

 

富山のラブホテル事情は一体どうなっているのでしょうか。

 

市内にもいくつかのラブホテルがあります。しかし、駅前よりも国道沿いや町外れにあることが多いようです。

 

ごく普通のラブホテルがいくつかあるようですが、その中で面白そうなものを紹介してみます。

 

市内のウエディングベルという寂れたラブホテル。料金は4500円ととても安いのですが、部屋の中にはなんとウエディングドレスがぶら下がっているそう・・・。

なんのメッセージなんでしょう。現代アート?

 

その他、コテージタイプのラブホテルなど、郊外特有のちょっとレトロなラブホテルが富山には多いみたいですね。

2012年5月16日
by toyamabrand
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チョンの間?

しかし、このように風俗が少ない地域、ソープのない地域だったら裏風俗やチョンの間が発達することも少なくはないようです。

富山だったら高岡にチョンの間があるという噂もあるようですが、実際のところはよくわかりません。

 

チョンの間というのはちょっとの間というような意味で、一見するとただの飲食店なのですが、その中の奥の間で女性と本番行為をすることができるというものです。

もちろん、非合法で見つかったら捕まってしまいます。

昔で言うところの青線地域内で営業していたカフェーや料亭に近いものですね。

青線というのは赤線とは違って無許可で風俗営業を行なっているお店が集まっていた地域です。

富山にも青線地域があったということですから、それも不思議ではありませんよね。

 

チョンの間はポン引きを介さないと利用することができません。町を歩いていてもどの人がポン引きなのかはわからないので声をかけられるまでは待つしかありません。

 

しかし、当然アンダーグラウンドなものでリスクも高いので利用される場合には自己責任でよろしくお願いします。

 

2012年5月16日
by toyamabrand
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他にも

たくさん富山には遊郭跡があります。古い町並みが好きだという人は是非訪ねてみてください。

朝日町の泊・神田新地は今でも芸妓の町として知られています。料亭や置屋、見番が今も残っているそうです。

この街はふるい日本の風景が残っている町ですね。

あとは滑川・常盤新地。

射水市の越中大門・大門遊郭。ここは古い建物がまだいくつか見ることができます。といっても飲み屋街などはあまり残っていないようですね。港町らしい風景が広がっています。

あとは中新湊・新湊遊廓、伏木・玉川新地、高岡・羽衣新地、砺波・出町遊廓、井波・堀道新地、福光・末広新地、福光・末広新地、石動・福町新地などです。

 

こんなにたくさんの遊郭街が各地にあったのですね。でも、その面影はあまりないようです。

こんなにたくさんの色街があったのにそれがどうして消えてしまったのでしょうか。

 

噂で言われているのは教育委員会の圧力が大きいからというのがひとつ言われています。

富山は教育熱心な県として知られています。進学率が高く、学力調査でも全国トップクラスに入っていると。そのことが富山の人にとっての誇りでもあります。

真面目でプライドも高い富山の人にとって風紀を乱すものはやはり好ましいと思えません。

ですから、かつてソープを作る計画が持ち上がった時にも教育委員会が反対したために立ち消えになったのだと言われています。

 

また、暴力団の勢力の中間地という話もあります。

 

条例で禁止されているというのも営業が難しくなってしまっている理由の一つでしょう。

 

しかしこれでは若者の欲求不満は募るばかりです。我慢は精神衛生上よくありません。

富山の若者は名古屋か岐阜まで行って遊んでくるという人も多いみたいですね。

2012年5月16日
by toyamabrand
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魚津

魚津市もかつては遊郭街でした。今も飲食店が立ち並んでいます。

ここには鴨川という川が流れているのですが、この鴨川という名前は京都の遊郭街のほとりに流れる鴨川から撮って付けられたんだそうです。

現在もスナックなどが数件並んでいます。

しかし、鴨川の遊郭は大正に旭新地へ移されたんだそうです。

 

魚津駅の前の商店街は新宿と呼ばれています。ここにも昭和レトロな雰囲気の漂う看板がいくつかあります。

 

そして鴨川の遊郭が移ったという旭新地も現在の魚津市内にあります。

当時は貸座敷や料理屋などがあったそうです。かつては妓楼として使われていたのかと思われる木造家屋などがいくつか発見できます。のどかな街です。

 

しかし、昔色街であっただけあって駅前には風俗店のけばけばしく古びた看板が出ています。

 

2012年5月16日
by toyamabrand
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東新地

全国各地で「新地」と名前のつく土地はたくさんあります。これは明治に入ってからあたらしく開拓された土地を表していることが多いです。

そしてそのような土地には大抵遊郭ができています。新しい街を活性化せさせるためには色街を作るのが一番効果があったからです。

大抵色街は街の外れにあることが多いのですが、この東新地は駅からすぐのところにありますね。それは色街として盛り上がって街が大きくなったから後からそこに主要な駅が置かれることとなったからです。

 

いたち川という曲がりくねった川沿いを歩いていると金比羅神社を見つけます。この神社の鳥居の売らには富山東廓二業組合と書かれています。かつての色街が寄進したものだということがわかります。

きっと遊郭の女性たちがよくこの金比羅神社にお参りに来たのでしょうね。

 

街を歩いていても、富山は空襲に遭っているために古い遊郭建築はほとんど見つけることができません。

 

赤線が廃止されてからしばらく経ってしまっていますし、歓楽街も中心は桜木町になっているので致し方がないことでしょうね。

 

2012年5月16日
by toyamabrand
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江戸時代から

江戸時代から許可されていた色街と言ったら旅篭町と稲荷町、北新町の三箇所でした。

旅篭町は宿場町ということで飯盛り女が許可されていたということです。

その旅籠町の妓楼はやがて北新町に全て移されることになります。そのため、北新町は城下で最大の色街となったのです。

 

維新を迎えると北新町の遊郭の一部は桜木町に移されたのでちょっと寂れてしまいましたが、それでも桜木町につぐ賑わいだったそうです。

 

しかし、街が形成されていくに従って悪影響が出ると言われてこの色街は清水町に移転されてしまいます。

 

清水町は田んぼを埋め立てて作られました。東新地は東の廓とも呼ばれました。桜木町からも妓楼が移ってきたためににぎやかな不夜城の様相を呈していました。

しかし、各式のある妓楼は桜木町に残っていたために芸は桜木町。身体を売っているのは東新地と言われていました。双方に特徴があったということです。

 

東新地は現在は住宅街となっているのですが、当時から営業している蕎麦屋さんや料亭もぽつぽつと見かけることができます。

 

ちなみに一世風靡した阿部定事件の中心人物である阿定はここ、東新地の平安楼という芸妓屋で働いていたそうです。

 

阿部定は東京の商人の家に生まれました。幼い頃から芸事を習い、また近所でも評判の美少女でした。しかし幼くしてセックスについて興味を持っていたといいます。

15歳の時には大学生に強姦され、初体験を迎えます。そこから彼女は不良少女となっていきます。

 

17歳に親に芸妓として売られてしまいます。そこで出会った男に騙されてお金をむしりとられたりして結局富山の平安楼に売られてしまします。

 

そこから各地を転々として遊女にまで身を落とし、やがてあの事件をおこしてしまうことになります。

 

阿部定事件をモチーフにした作品としては大島渚の「愛のコリーダ」などが有名です。

2012年5月16日
by toyamabrand
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富山の歓楽街

富山の歓楽街と言ったら桜木町です。

桜木町に色街が誕生したのは明治維新の後のことです。市内の各所に色街があったのですが、風紀を取り締まるために一箇所に集めようということで当時お城が廃城となって使われなくなっていた出丸跡でした。

出丸の隣にあった千歳御殿の景観をそのまま活かしたまちづくりをしようと思って庭園部分はそのまま残し、桜木町の色街が作られて行きました。

 

この桜木町という名前も千歳御殿の庭園にたくさんの桜が植えられていたことから名付けられたと言われています。

 

そもそも色街が作られる経緯は大体が街を活性化させる目的のためです。

この桜木町のあたりも明治に入ってお城も不要となり、せっかくの美しい景色も無用の長物となってしまっていたのでしょう。

 

歓楽街が街を賑わせて潤わせるのは今も昔も同じ事のようです。

 

 

桜木町を歩くとたくさんの無料案内所や過激な表現の看板、ポスターを見つけることができます。お店も実に様々です。

歴史のある富山城址の公園の近くにこんなに派手な歓楽街があるのは結構びっくりしてしまいます。でも、観光や出張でやってきた男性にとっては嬉しいかもしれませんね。

 

もちろん、お城が現役で使われていた時期にはこんなに近くで色街を作るのは不可能でした。江戸時代が終わって新しい明治時代に入ったからこそできた街なのですね。

 

2012年5月16日
by toyamabrand
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シネマ食堂街

富山の駅前に出ると「シネマ食堂街」という一角に出くわします。

ここは昭和34年に誕生したもので、その名の通り、映画館と食堂街が一体化しているゾーンです。

しかし、残念ながら現在は映画館は閉館してしまっています。その名前にだけ残っているんですね。

 

映画館は最初は大衆向けの作品を上映していたようですが、それが次第に成人向け映画館に変わってしまいました。

 

全国各地の成人向け映画館も多くがここと同じような道をたどっていますよね。とても寂しいものです。

ですが、実際に成人向け映画館に足を向ける人は少ないのでそれはしかたがないことなのかもしれません。

昔は成人映画を見に行くのは暇な学生というイメージがあったのですが、最近は浮浪者のようなおじさんが数人ぽつぽつと座ってるだけです。

 

映画館は閉館しましたが、食堂はいくつかまだ営業しています。

富山のおいしい魚介類などを食べることができる食堂がいくつか開いています。

 

レトロでとても雰囲気のあるゾーンです。

 

 

2012年5月16日
by toyamabrand
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富山のエロスポット

こんにちは。このブログでは富山のエロスポット、けしからん場所にかんする情報や赤線跡の情報、はたまたB級スポットに関する情報を紹介していこうと思っています。

 

くだらない話とか、今やだれも見向きもしないものばかりに目が行ってしまうので、へんなことについてばかりかいてしまうかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。

 

このブログを読んで富山について興味を持ってもらえたりしたら嬉しいと思っています。

 

富山はあまり風俗は盛んではない地域のような気がしますがそれは富山人の生真面目な性格に関係しているのかもしれませんね。

そのようなところも楽しんでいけたらいいかなと思っています。